エナジズム提唱論文
- 2024年5月4日
- 読了時間: 8分
更新日:6月20日
変化の立ち現れを定着させる:エナジズム
2026.6.20更新
序論:エナジズムとは何か
現代美術における動的表現の歴史に、新たな視座を導入すること。それが、私が提唱する美術概念「エナジズム(Energyism)」の試みである。
私が世界をエネルギーとして捉えるのは、あらゆる存在が固定された物体ではなく、関係性のなかで変化し続ける過程(プロセス)として現れているように感じられるからだ。しかし、その目に見えない営みそのものを、人間が直接見ることはできない。
エナジズムとは、目に見えないエネルギーや気配が、世界に「変化」として立ち現れる瞬間を捉え、それを絵画空間に定着させる試みである。その際、私にとって最も重要な手がかりとなるのが、その変容の具現である「動き」である。
一筋の滝が激しく落下し、やがて霧散していく流れ。渡り鳥の群れが一つの巨大な意思のように空を渡っていく移動。そして、アトリエで生み出された一枚の絵画が人々の心を震わせ、社会のなかを巡っていくこと。これらは一見すると全く異なる事象に思えるが、その深層には、ある状態から別の状態へと移り変わる、境界線上のダイナミズムが存在している。
世界とは、姿形を変えながら絶え間なく巡り続ける、地続きの連続体にほかならない。
かつて古典絵画が物質の「形」を定着させ、写真が空間の「光」を定着させたように、エナジズムは世界を貫く「変化の立ち現れ」の定着を試みる。本論では、私の個人的背景から、具体的な芸術手法、実際の作品分析、長年の実践を通じて、その理論的・実践的枠組みを明らかにしたい。
第1章:私の背景と芸術への進化
私の創造的ルーツは、大学時代の映像制作と、中学・高校時代の陸上競技(短距離走)の経験という、一見対極にある二つの原体験に由来している。
大学時代の映像制作において、私は色彩や構図による視覚的なストーリーテリングの手法を深く探求した。時間の経過とともに変化する光や画面の連続性は、現在の私の絵画における色彩表現や、流動の軌跡を捉える形態の動的な歪みに決定的な影響を与えている。
一方、陸上競技の経験は、私の作品に生々しい身体性と、移行の熱量をもたらした。短距離走のスタートの瞬間、肉体は単なる物質であることをやめ、一瞬のうちに爆発的な変容を遂げる「生きた現象そのもの」と化す。このアスリートとして培った肉体感覚や流動のリズムが、私の絵画の骨組みとなっている。
しかし、私が真に定着させようとしているのは、身体の物理的な移動そのものではない。その動きを引き起こす源泉、すなわち皮膚の内側で火花を散らす「意志のエネルギー」や、極限状態における「空間の気配」が交錯し、世界が劇的に形を変えるその臨界点、すなわち「生成の瞬間」である。
現代美術の歴史を振り返れば、ファウヴィスムの鮮烈な色彩や、抽象表現主義、あるいはジャクソン・ポロックに代表されるアクションペインティングなど、感情や身体的運動をキャンバスに導入した先例は数多く存在した。
しかし、私のアプローチはこれらの既存の手法とは一線を画している。私は先人たちの表現を地平としながらも、行為の結果としての絵の具の痕跡(マチエール)そのものを崇めるのではない。映像制作の視覚的感性と、陸上競技の肉体感覚を緊密に融合させ、私というフィルター(視点)を通して、目に見えないエネルギーが現象として地上に噴出するその境界を絵画空間に定着させることに主眼を置いている。
第2章:エナジズムの理論的枠組みと芸術手法
エナジズムの実践において、キャンバスは目に見えない変容を定着させる「結節点」となる。「動き」を最大の媒介としながら、世界が形を変える瞬間を絵画表現へと翻訳するために、私は色彩、筆致、形態、そしてテクスチャー(質感)という四つの要素を駆動させている。
色彩: 作品に活力と感情を注入するための主軸である。鮮やかな色彩の組み合わせや濃淡の劇的な変化を用いることで、目に見えないエネルギーの強さや活気を視覚的な電圧へと変換する。
筆致(ストローク): 移行の方向や速度を直接的に表現する手段である。自らの体躯をいっぱいに使った大胆なストロークと、繊細なタッチを共存させることで、画面に生き物のようなリズムと生命力を与える。
形態: 固定された物体の輪郭をあえて歪ませ、あるいは変化させることで、物質の奥にあるエネルギーの速度や、風を切り水を踊らせるような運動の軌跡を感じ取らせる。
テクスチャー(マチエール): 粗い絵の具の盛り上がりやペインティングナイフによるエッジ、あるいは滑らかな表面の対比によって、視覚だけでなく触覚的なレベルで、立ち現れる流動の質量を伝える。
これらの要素をコントロールする上で、最も重要なテクニックが「粗と密」の組織化である。フラットに抑えられた背景(粗)と、密に描き込まれた対象(密)。絵の具の素材感が剥き出しになった部分と、極限まで削ぎ落とした部分。この画面内の明快な対比によって強烈なギャップが生まれ、観る者に対して「ある一瞬に凝縮された爆発的な熱量や気配」を認知させる。
ここで言う「余白(粗)」とは、単なる空白ではない。それは、描かれなかった軌跡や変化の余韻を鑑賞者の脳内で再生させ、観る者自身にその先にある現象の広がりを補完させるための、双方向的な知覚装置なのである。
第3章:主要作品におけるケーススタディ:思想から技法への着地
エナジズムが標榜する「変化の立ち現れ」は、実際の作品においてどのように結実しているのか。私の代表的なシリーズを例に、その具体的な絵画構造を解剖したい。
① 『Samurai』シリーズ:虚空に放たれる精神の閃光
本シリーズにおいて、画面を切り裂く太刀筋や身体の形態は、物理的な形を無視して激しく歪んでいる。これは、網膜が捉える刀という物質の模写ではなく、静寂から劇的な動へと世界が切り替わる瞬間、すなわち「集中、緊張、意志、気配」という見えないものが、形を持って発露する瞬間そのものの定着を試みているからだ。広大な余白は、その張り詰めた変容のあとの残響を空間全体へと響かせ、鑑賞者の脳内でその先の軌跡を再生させるための必然的な絵画的装置なのである。
② 『Cascade』シリーズ:連続する流動のプロセス
『Waterfall(単一の落下)』から進化を遂げた本シリーズにおいて、私が「滝」という存在を描き続けるのは、水が重力という世界の規則に従って絶え間なく変化し、繋がり合っていく「流動、循環、連鎖」という、世界の代謝の最も純粋な顕現だからである。 描写において、私はあえて水滴の微細な描写を避けている。なぜなら、写真のような再現は時間を停止させ、私が捉えようとする「絶え間ない変化のプロセス」を弱めてしまうからである。エナジズムが定着させるべきは、水という物質の静止画ではなく、形を変えながら落ち、跳ね、巡り続ける、世界そのものの生成と消滅のサイクルである。ディテールを削ぎ落としたストロークの連鎖(マチエール)によって、連続する移行のうねりだけを画面に抽出している。
「山下良平さんの作品は、絵の具のマチエールによって、実際に目に見えることのない、モノの運動や気配、躍動感を表現しています。これらを表現するために用いられているテクニックは、『粗と密』と言えるのではないでしょうか。(中略)フラットな背景と密に描かれた人物、絵の具のマチエールがある部分とない部分、筆で描かれた部分とペインティングナイフで描かれた部分などです。これらの『粗と密』の組み合わせによって、作品を目にした者に、それがある一瞬を切り取ったエネルギーの表現なのだと気づかせるのです。(中略)彼の作品には、webのブラウザ越しや、印刷物として鑑賞するのではなく、実際に本物の作品を肉眼で見てみたいと思わせるようなエネルギーが凝縮されている様に感じました」 —— 見目 智史(東京造形大学大学院美術専攻修了・DADA株式会社 SAMENOS事業部)
「山下良平氏は、一貫して人の『動き』の瞬間のなかに美の極致を見出そうとし、美術家としての独特のジャンルを拓いてきました。風を切り水を踊らせるようなあらゆる身体動作が、思い切った構図と自らの体躯をいっぱいに使った筆致でキャンバスに定着されます。また、競技者のイマジネーションを風景に置き換えたり、四季のセンチメントも題材に選ぶなど、躍動美から展開する様々な瞬間にもテーマを求め、進化し続けているのです」 —— 吉田 広二(ギャラリースピークフォー ディレクター)
これらの指摘が示すように、エナジズムは個人の主観的な試みにとどまらず、確かな絵画技術に裏打ちされた「見えない移行や気配が立ち現れる瞬間の可視化」として、美術の現場において受容されつつある。
結論:エナジズムの貢献と未来
エナジズムは、現代美術において新しいパースペクティブを提供している。従来の静止した絵画の枠組みを超え、抽象的なエネルギーや万物の躍動感を具体的な技法によって視覚化する手法は、観る者にダイナミックな芸術体験をもたらす。
作品という結節点で定着された熱量は、鑑賞者の身体感覚や心の奥底へと伝搬し、さらに社会や未来へと広がっていく。水が大地を走り、海へ至り、雲となり、再び雨として還るように、エネルギーもまた姿を変えながらこの世界を循環し続ける。
滝の流れも、渡り鳥の移動も、精度高く定着された作品が社会を巡っていくことも、それぞれ異なる姿をとりながら、同じ「変化の立ち現れ」という原理のもとで響き合っている。芸術は、その永遠の循環を可視化する場であり、人と世界を再び結びつけるメディアなのだ。
理論の完成で閉じるのではなく、次の表現への実践へ。
私はこれからも、その流れを描き続けたいと思う。




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